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東京高等裁判所 平成8年(ネ)4891号 判決

控訴人 大東京火災海上保険株式会社

右代表者代表取締役 小澤元

〈他1名〉

右両名訴訟代理人弁護士 寺澤弘

同 島林樹

同 木本寛

同 玉田斎

同 古井戸康雄

被控訴人 B山・インク

右代表者代表取締役 A野太郎

右訴訟代理人弁護士 山岸良太

同 藤原総一郎

同 諏訪昇

主文

一  原判決を次のとおりに変更する。

1  控訴人らの被控訴人に対する別紙債務目録記載の各債務が存在しないことを確認する。

2  被控訴人の反訴請求を棄却する。

二  訴訟費用は、第一、二審とも、本訴反訴を通じて被控訴人の負担とする。

事実及び理由

第一当事者の求めた裁判

一  控訴の趣旨

主文と同旨

二  控訴の趣旨に対する答弁

本件控訴を棄却する。

第二事案の概要

本件は、控訴人らと株式会社C川マリーナ(以下「C川マリーナ」という。)との間で被保険者を被控訴人としてヨットの損害保険契約を締結していたところ、被保険船舶であるヨットが火災により沈没したことについて、控訴人らが、本訴により、右ヨットの火災沈没事故が保険契約者であるC川マリーナ又は被保険者である被控訴人らの故意によって生じたことなどを理由に、被控訴人に対する保険金支払債務(別紙債務目録記載の各債務)の不存在確認を、被控訴人が、反訴により、控訴人らに対し、右損害保険契約に基づく保険金の支払をそれぞれ請求した事案である。

一  争いのない事実等

1  控訴人大東京火災保険株式会社(以下「控訴人大東京」という。)及び控訴人日動火災海上保険株式会社は、いずれも、各種損害保険を営業目的とする株式会社である。

2  C川マリーナは、A野太郎(以下「A野」という。)を代表者とするヨット、モーターボート等の管理、製造及び修理等を営業目的とする株式会社であり、静岡県伊東市所在の伊東港にヨット等の係留施設を設置していた。

3  D原松夫(以下「D原」という。)、E田竹夫(以下「E田」とい。)及びA田梅夫(以下「A田」という。)は、C川マリーナの従業員であった者である。

4  C川マリーナは、台湾の造船業者である聯華實業股有限公司(リーン・ホワ・インダストリアル・コーポレーション。以下「リーン・ホワ」という。)に対し、ヨートの建造を発注し、平成三年七月一二日、全長約五六フィートのヨット(以下「本件ヨット」という。)を横浜税関の輸入承認を受けて輸入し、その後本件ヨットを伊東港の係留施設に係留していた。

5  A野は、平成四年五月一一日、アメリカ合衆国デラウェア州ニューキャッスル郡《番地省略》を本店所在地とする被控訴人を設立し、本件ヨットは、被控訴人所有の船舶としてデラウェア州において登録された。

6  C川マリーナは、平成四年九月ころ、控訴人大東京の保険代理店である株式会社トーカイ「以下「トーカイ」という。)を通じて、控訴人らに対し、本件ヨットについて船体保険金額を二億円とするヨート・モーターボート総合保険契約の申込みをした。その際、A野は、米国デラウェア州ボート登録証(以下「本件ボート登録証」という。)を提示し、本件ヨットの保管場所として「伊東市新井白燈台 C川マリーナ」と申告した。

7  控訴人らは、右申込みを承諾し、平成四年一〇月二日、C川マリーナとの間で、次の保険契約(以下「本件保険契約」という。)を締結した。

(一) 保険契約者 C川マリーナ

(二) 保険者 控訴人ら(分担割合は各五〇パーセント)

(三) 被保険者 被控訴人

(四) 保険の種類 ヨット・モーターボート総合保険

(五) 保険期間 平成四年一〇月二日から平成五年一〇月二日まで

(六) 被保険船舶 保管場所 静岡県伊東市新井白燈台 C川マリーナ

船体 DIANA56(武尊Ⅱ HODAKAⅡ)

船体番号 〇〇七 USA DL五二 一〇p

(七) 用途 自家用(非業務用)

(八) 担保地域 全世界(ワールド・ワイド)

(九) 保険金額 二億円(免責額三〇万円)、控訴人らの負担割合は各五〇パーセント

(一〇) 月額保険料 四二万〇一四〇円(一二回払)

8  本件保険契約の約款には次の内容の規定がある。

(一) 船体についての保険金の支払責任

(1) 控訴人らは、沈没・座礁・座洲・衝突・火災・爆発・盗難その他偶然な事故によって被保険船舶(船舶に定着又は装備されている標準機器・装備品を含む。)に生じた損害に対して保険金を支払う(約款第一章第一条)。

(2) 全損の場合に控訴人らの支払う保険金の額は、損害発生時の被保険船舶の実際の価額にかかわらず、保険証券に記載された保険の目的の価額(協定保険価額。本件では二億円。)とする(協定保険価額特約条項第一条)。

(二) 保険契約者等の故意による保険金支払責任の免責

控訴人らは、次の者の故意によって生じた損害については保険金を支払わない(約款第一章第二条)。

(1) 保険契約者、被保険者又は保険金を受け取るべき者(同条(1)イ)

(2) (1)に掲げる者が法人であるときは、その理事、取締役又は法人の業務を執行する他の機関(同条(1)ハ)

(3) (1)に掲げる者の業務に従事中の使用人(同条(1)ニ)

(三) 保険契約者等の詐欺行為による無効

保険契約締結の当時、保険契約に関し、保険契約者、被保険者又はこれらの者の代理人に詐欺の行為があった場合は、保険契約は無効とする(約款第三章第六条1)。

(四) 保険契約者の告知義務違反による解除

保険契約締結の当時、保険契約者、被保険者又はこれらの者の代理人が、故意又は重大な過失によって保険申込書の記載事項について知っている事実を告げなかったとき、又は不実のことを告げたときは、控訴人らは本件保険契約を解除することができる(約款第三章第三条)。

(五) 危険の著増による保険金支払の免責(約款第三章第四条)

保険契約者又は被保険者は、保険契約締結の後、被保険船舶の危険が著しく増加した場合において、右危険の増加が保険契約者又は被保険者の責に帰すべき事由によるときは、右危険の増加を知った後遅滞なく書面をもってその旨を控訴人らに通知し、保険証券に承認の裏書を請求することとし、控訴人らは、右危険の増加が生じた時からその事実がなくなるまでの間(ただし、承認裏書請求書を受領した後を除く。)に生じた事故による損害については、保険金を支払わない。

(六) 事故発生時の義務違反による保険金支払の免責

保険契約者又は被保険者は、事故が発生したことを知った場合において、控訴人らから控訴人らが特に必要とする書類又は証拠となるものを求めたときは、遅滞なくこれを提出し、又は控訴人らが行う損害の調査に協力しなければならないこととし、保険契約者又は被保険者がこの義務に違反し、又は控訴人らに対して提出する書類に故意に不実の記載をし、その書類又は証拠を偽造し、若しくは変造した場合には、控訴人らは、保険金を支払わない(約款第三章第一二条一項、三項、同第一一条八号)。

9  C川マリーナは、平成四年一〇月から平成五年二月にかけて、控訴人らに対し、五か月分合計二一〇万七〇〇〇円の保険料を支払った。

10  平成四年一二月二四日、D原、E田及びA田の三名が本件ヨットに乗船して伊東港を出港後、伊東市川奈の沖合で本件ヨットに火災が発生し、炎上後に沈没した(推定される沈没地点は、川奈崎東北東、方位六〇度、距離三・五浬。甲第一八号証。以下「本件事故」という。)。

11  控訴人らは、C川マリーナに対し、平成五年四月一五日付けの内容証明郵便により、詐欺を理由として本件保険契約を取り消す旨の意思表示をするとともに、告知義務違反を理由として本件保険契約を解除する旨の意思表示をし、右意思表示は翌一六日、C川マリーナに到達した。

二  争点

1  故意による事故招致

(一) 控訴人らの主張

A野は、C川マリーナが国内の顧客に売却する意図で本件ヨットを台湾から輸入したものの、予期したとおりに売却することができず、しかも、当時A野が金融機関や暴力団関係者からの多額の借入れの返済にも窮していたことから、実際の価額が五〇〇〇万円にも満たない本件ヨットの価額を二億円と偽って控訴人らと本件保険契約を締結した上、本件ヨットを沈没させて保険金を取得することを企て、A野の指示を受けたD原が、アメリカ回航のためと称して予備燃料を入れたポリタンク約一〇個を積み込んでいた本件ヨットに石油ストーブを持ち込んだ上、最大風速(秒速)一二・五メートルの風が吹く荒天であるにもかかわらず、あえてE田及びA田とともに密漁のため本件ヨットで伊東港を出港し、密漁現場付近の海上でE田とA田が密漁のために本件ヨットを曳航していたテンダーボートで本件ヨットを離れていた間に、本件ヨットのメインサロン内の石油ストーブに点火し、かつ、石油ストーブが転倒しやすいように何らかの工作を施した上、密漁現場付近の海上で本件ヨットを旋回航行させ、その結果、横波を受けるなどした際に石油ストーブが転倒したことによって、本件ヨットに火災を発生させた。

仮に、A野のD原に対する右の指示が認められないとしても、D原の右行為は、客観的、外形的にみてC川マリーナの業務に従事中のものと評価することができる。また、D原は、C川マリーナの責任者で本件ヨットを事実上使用管理する地位にあったから、C川マリーナの業務を執行する機関に該当する。

したがって、本件事故は、保険契約者であるC川マリーナ及び被保険者兼保険金受取人である被控訴人のいずれもの代表者であるA野の故意によって生じたものであり、仮に、そうでないとしても、C川マリーナの業務に従事中の使用人又は本件保険契約約款第一章第二条(1)、ハの「法人の業務を執行する他の機関」であるD原の故意によって生じたものである。

(二) 被控訴人の主張

本件保険契約を締結した当時の本件ヨットの価額は二億円を上回っていた。また、本件事故以前のC川マリーナには多額の収益があり、本件事故の直前にA野の妻花子が父親の遺産相続により合計約一億円の不動産及び現金を取得していたことなどから、本件事故当時A野が金銭的に逼迫した状態には全くなかった。このように、A野には保険事故を故意に発生させるような動機はなく、本件ヨットに火災を発生させることについて、A野とD原との謀議やA野の指示を窺わせるような証拠も全く存在しない。C川マリーナが本件保険契約を締結したのは、本件ヨットを売却するためにアメリカへ回航する予定であったからであり、本件事故の直前に本件ヨットに予備燃料を積み込んでいたのも右回航の準備のためであった。本件事故は、D原、E田及びA田が、正月用の貝類を密漁しようとして本件ヨットを使用した際に偶然に発生したものであり、出火原因としても電気系統の漏電、エンジン加熱等の機関出火、石油ストーブの火が近くの物(セール、クッション等)に燃え移るなど、諸々の偶発的な原因が考えられ、控訴人ら主張の人為的な工作による出火を裏付ける証拠は全くない。また、D原にも本件ヨットに放火する動機は全く存在しないし、本件事故が「保険契約者又は被保険者の業務に従事中の使用人」の故意による事故に当たるともいえず、D原がC川マリーナの「業務を執行する他の機関」に該当することもない。

したがって、本件事故は偶発的に生じたものであって、A野又はD原が故意に招致したものでないことは明らかである。

2  詐欺又は告知義務違反

(一) 控訴人らの主張

(1) A野は、平成四年五月一五日、カリフォルニア州の公証人ノーラ・L・ウィリアムズ作成の自動車の売渡証書(ビルオブセール)を本件ヨットの売渡証書に改ざんした上、同年六月八日、デラウェア州のヨット登録会社を通じて、デラウェア州魚類野生生物局に対し、リーン・ホワ作成の本件ヨットの建造証明書及び右の改ざんされた売渡証書を添付して、本件ヨットの登録申請をし、不正にデラウェア州ボート登録証(本件ボード登録証)の交付を受けたものであり、トーカイを通じて、控訴人らに対し、これを本件ヨットの船舶国籍証書であるかのように偽って示した。

(2) C川マリーナは、本件保険契約の申込みをする際、本件ヨットの保管場所を「伊東市新井白燈台 C川マリーナ」と申告したが、真実は本件ヨットを港湾法に違反して不法に伊東市新井の伊東港内の防波堤に係留保管しており、あたかも適法に本件ヨットを係留保管しているかのように装ったものであった。さらに、C川マリーナは、船舶法三条に違反して日本の船舶ではない本件ヨットを伊東港に係留していること及び船舶安全法二九条の七に違反して管海官庁の船舶検査を受けていないことを控訴人らに告げなかった。

(3) A野は、本件ヨットのリーン・ホワからの購入価額が約三〇万ドル(四二〇〇万円)であり、その後に本件ヨットに付加した設備機器類の価額を加算しても五〇〇〇万円に満たないにもかかわらず、控訴人らに対し、本件保険契約締結の際、本件ヨットの価額が二億円であるかのように装った。

(4) 以上のとおり、A野は、本件保険契約締結の際に、保険契約者及び被保険者の代表者として、控訴人らに対し、詐欺又は告知義務に違反する行為があったから、本件保険契約は約定により無効であるか、若しくは控訴人らの意思表示により取消し又は解除された。

(二) 被控訴人の主張

(1) 本件ヨットの売渡証書は真正なものであり、被控訴人の本件ボート登録証の取得に何ら違法な点はない。

(2) 本件ヨットの保管場所は、C川マリーナが熱海土木事務所用地管理課の書面による許可を得て、伊東港に浮桟橋を設置し、マリーナ営業を行ってきたところであって、何ら不法なものではない。

(3) 本件ヨットのリーン・ホワからの購入価額は七五万八〇〇〇ドル(一億〇六〇〇万円)であるが、定価では一一〇万ドル(一億五四〇〇万円)であり、輸入後に伊東マリーナが付加した設備機器類及び内部の改装費用は四〇〇〇万円から五〇〇〇万円に上るから、本件ヨットの価額は二億円を下らない。

(4) 控訴人らが告知義務違反として主張する事実は、保険事故の危険率に影響を及ぼすべき事実ではないから告知事項には該当せず、仮に、告知事項に該当するとしても、A野には右事実の重要性及びそれを告知すべきことについて全く認識がなく、認識がなかったことにつき重過失もなかった。

3  危険の著増による免責

(一) 控訴人らの主張

D原らは、A野の指示を受けて、必要もないのに、本件ヨットに軽油及び混合油を入れた二〇リットル入りのポリタンク約一〇本を持ち込んで船室内に保管し、また、石油ストーブを本件ヨットのメインサロンに運び込み、その近くのテーブルの上に可燃性のセールを折り畳んだ状態で載せておいた上で、風の強い気象条件の下で、本件ヨットで川奈沖へ向けて出港し、川奈沖でD原が石油ストーブに点火し、無人となったメインサロンに点火された石油ストーブを放置していた。

右行為は、本件ヨットに著しい危険の増加をもたらすのであるにもかかわらず、C川マリーナ及び被控訴人は、控訴人らに対し、承認の請求をしなかった。

よって、控訴人らは、本件保険契約約款又は商法六五六条、八二五条に基づき、本件保険金の支払いを免れる。

(二) 被控訴人の主張

E田、D原及びA田らの行為は、著しい危険の増加をもたらすものではない。すなわち、軽油等の積み込みについていえば、本件ヨット内に予備燃料を含む相当多量の軽油、混合油等の燃料類を積み込むことは当初から予定されていたものであり、石油ストーブについては、ヨットを含む船舶において冬季に石油ストーブを持ち込むことは日常的に行われており、しかも持ち込まれたものは耐震自動消火装置付きの家庭用石油ストーブで、倒れないようにゴムマットを敷いてその上に置く等の措置がとられていた。天候についても、大型ヨットは風力を利用して帆走するので、強風下で出港することは何ら特別なことではない。さらに、A野は、本件事故当日は旅行のため不在であり、D原らが魚貝類を採るために本件ヨットで出港することも、出港するに当たって石油ストーブを持ち込むことについても知らなかったのであるから、「危険の著増」について保険契約者又は被保険者の責に帰すべき事由はない。

第三争点に対する判断

一  本件事故前後の状況等

1  まず、本件事故前後の状況について検討するに、各項の末尾に掲記した証拠によれば、以下の事実を認めることができる。

(一) 本件ヨットは、平成三年七月一二日にC川マリーナによって輸入された後、横浜港から伊東港に回航され、C川マリーナが所有する同港内の係留施設に係留されていた。本件ヨットは、C川マリーナ所有のヨット中最大のものであり、A野は、本件ヨットを日本国内の顧客に販売する予定で台湾から輸入したが、平成三年秋ころにはバブル経済が崩壊したあおりで本件ヨットのような大型ヨットに対する需要が急速に落ち込み、目当てにしていた顧客から本件ヨットの購入を断られるなどしたため、平成四年初めころには本件ヨットをアメリカで売却することを企図するようになった。そこで、A野は、友人でアメリカの事情に詳しいB野春夫(以下「B野」という。)の勧めもあって、本件ヨットをアメリカで売却する場合の節税のため、平成四年五月一一日、税金面で有利なデラウェア州に本件ヨットを所有するための会社である被控訴人を設立して本件ヨットを被控訴人の所有とし、同年六月一〇日、デラウェア州において本件ヨットの船籍登録を行った。(《証拠省略》)

(二) A野は、平成四年一二月末に行われる予定のグアムレース(東京―グアム間のヨットレース)に本件ヨットでB野も同乗して参加した後グアムからアメリカまで本件ヨットを回航する予定にしていたが、同年八月ころには、グアムレースは前年のレース中に生じた事故が原因で中止されることが明らかになったため、右レース参加を兼ねて回航する計画は中止された。(《証拠省略》)

(三) 控訴人大東京は、C川マリーナの取引銀行であった株式会社三和銀行(以下「三和銀行」という。)沼津支店からA野を紹介されたのを契機に、平成三年夏ころから、保険代理店のトーカイ伊東営業所を通じてC川マリーナが保管する顧客のヨット等の保険を取り扱うようになった。その後、C川マリーナの顧客のヨット等の保険は順調に増加していったが、C川マリーナ及びA野自身が所有するヨット等については、トーカイの担当者の勧誘にもかかわらず、A野はなかなか保険を付けようとはしなかった。しかし、平成四年九月一六日、A野からトーカイに、本件ヨットに二億円の保険を付けた場合の保険料を見積もってほしいとの依頼があった。そこで、トーカイ担当者が控訴人大東京に保険料の算定を依頼し、その後A野の了解が得られたため、本件ボート登録証等の保険契約締結に必要な書類等の提出を受けた上、同年一〇月二日、本件保険契約が締結された。なお、右保険料の見積申込みの際に、A野は、本件ヨットの使用目的を顧客の接待と販売のためのデモンストレーション用に使用する旨述べ、本件ヨットをアメリカに回航する予定があることについては特に触れていなかった。(《証拠省略》)

(四) C川マリーナは、平成二年に純売上高(マリーナの入会金、年会費、係船料及び修理費等の収入)が一億二四七七万〇六八八円であったが、平成三年の純売上高は七〇五五万四八三七円、平成四年の純売上高は四六五六万二二六九円と急激に減少しており、平成四年には六一六四万九〇〇三円の営業損失を計上するに至っていた。また、C川マリーナは、平成三年三月から同年七月までの間に、本件ヨットの購入資金等のため三和銀行から手形貸付及び証書貸付により合計一億三三〇〇万円を借り入れていた。右借入れのうち、手形貸付分四〇〇〇万円(その後三六五〇万円の証書貸付に切り替えられたもの。)については、平成四年一〇月ころから元利金の返済が滞るようになっており、本件事故後である平成五年六月三〇日現在の手形貸付及び証書貸付の残元本は合計一億二六五〇万円であった。更に、C川マリーナは、平成四年一月、暴力団C原会の代表者D山夏夫から七〇〇〇万円を借り入れた。右借入れの返済期限は同年八月末日であり、貸主及び借主の同意の上で同年一二月二〇日まで返済期限の延長ができるものとされ、同年八月末日に利息として一〇〇〇万円を支払う旨の約定がされていた。右借入れについても、A野は期限(同年八月末日及び一二月二〇日)に返済することができなかった(右借入れについては、平成五年五月六日付けでA野及びその妻花子所有の不動産に対し根抵当権が設定されている。)。(《証拠省略》)

(五) D原は、平成四年一二月中旬ころ、A野の指示で、本件ヨットをアメリカに回航するための準備と称して食器類、食糧、寝具類等の積み込みを始めた。また、D原及びE田らは、同月二二日、サガミシード株式会社伊東給油所に本件ヨットのエンジンの燃料である軽油三〇〇リットルと本件ヨットに搭載されたゴムボートの船外機用の燃料である混合油一〇〇リットル等を注文し、右軽油の一部を本件ヨットの燃料タンク(容量三〇〇ガロン。米ガロン計算で約一一三五リットル。)に給油した後、残った軽油と混合油を容量二〇リットルのポリタンク合計七、八本に入れ、本件ヨットのメインサロン右後方の客室に積み込んだ。(《証拠省略》)

(六) D原は、平成四年一二月初めころ、E田、A田や知人のE原秋夫(以下「E原」という。)及び同人が経営する会社の従業員A川冬夫(以下「A川」という。)に対し、暮れころに正月用の貝類を潜水によって採りに行くことを誘い、同月二二日ころには、貝類を採りに行く日を同月二四日にすることが決まっていた。A田は、それまでにも伊東港の周辺等で潜って貝採りをしたことがよくあり、E原とA川も平素からスキューバダイビングをよくしていた者達であった。(《証拠省略》)

(七) 平成四年一二月二四日の朝、D原は、A田を誘って自動車で伊東市川奈の川奈ホテル付近まで行き、当日貝を採る予定にしていた同ホテル東側の入江の下見をした。当日の天候は晴れであったが、相当強く風が吹いており、沖合は白波が立っていた。網代測候所の観測による午前八時から午後四時までの風速は毎秒八メートルから一〇メートル程度で、最大瞬間風速は二二・五メートルであり、当日は伊東港を発着する定期客船の一部(二五八九トンのもの及び一一八・五トンのもの)が欠航したほか、伊東漁協及び川奈漁協所属の漁船も出漁を見合わせていた。また、一緒に貝採りに行くことになっていたE原及びA川は、当日になって風邪等の理由で急に貝採りには行かないことになった。(《証拠省略》)

(八) 伊東港には、右同日、本件ヨットのほか、通称「二機がけ」と呼ばれていたC川マリーナ所有のボートが係留されていた。二機がけは、全長二三・五フィート(七・一四メートル)で、六人が座れるキャビン(客室)があり、六五馬力の船外機二機が装備されていた。A田は、同年一二月二一日にもE田とともに二機がけで川奈港近くの海に貝採りに行っており、当日も二機がけで貝採りに行くものと思ってスキューバダイビングの装備をいったん二機がけに積み込んだ。ところが、D原が本件ヨットで貝採りに行く旨をA田に告げたため、A田はスキューバダイビングの装備を本件ヨットに移した。また、D原の指示により、海から上がってきたA田の身体を暖めるためという理由で、E田がC川マリーナの事務所で使用していた石油ストーブ(幅五〇センチメートル、高さ四、五〇センチメートルの反射式で耐震自動消火装置付きのもの)を本件ヨットのメインサロン内に持ち込んだ。右石油ストーブは、メインサロン内前方の床の上に、メインサロンの階段下にあった滑り止めのゴムマットを敷いた上に置かれた。なお、本件ヨットにはエアコンディショナーによる暖房設備があり、それまで本件ヨットに石油ストーブが積み込まれたことはなかった。(《証拠省略》)

(九) 本件ヨットは、平成四年一二月二四日午後一時過ぎころ、D原、E田及びA田の三名が乗船し、D原が操舵して機走(エンジンによる走行)で伊東港を出港したが、三〇分程度航行した時に、A田が獲物の貝類を入れる道具であるスカリを忘れてきたことに気付いたため、いったん伊東港まで戻ってスカリを積み込んだ上、午後二時ころに再出港した。本件ヨットには、浅瀬に近づくために使用するテンダーボート(船外機付きの小舟)がロープで曳航されていた。なお、E田とA田は一級小型船舶操縦士の免許を持っていたが、D原は、当時、船舶操縦に関する何らの免許も持っていなかった。また、本件ヨットのエンジンキーは従業員が港内で船を移動させる際等に使用できるようにするため、事務所で保管されていた。

午後三時ころ、本件ヨットは、D原らの目的地である川奈ホテル東側の入江付近に到着し、アンカー(又はシーアンカー)をおろさずに停泊した。そこで、A田は、本件ヨットのメインサロンに降り、ウェットスーツの上に着ていた上着とズボンを脱いで潜水の準備をした。その際にA田は、本件ヨットのエアーコンディショナーの暖房のスイッチを入れた。その後、A田は、E田が操舵するテンダーボートに乗り、本件ヨットから二〇〇メートル前後離れた浅瀬まで行き、同所で貝採りのための潜水を始めた。他方、D原は、E田とA田がテンダーボートで本件ヨットを離れた後、メインサロンに降りて同室内に置いてあった石油ストーブに点火した。

その後、D原はコックピット(操縦席)に戻り、E田もA田をテンダーボートで採取地点まで送り届けた後本件ヨットに戻ってコックピットにいたが、当時、西風が相当強く吹いており、船体の横に西風を受けると沖合に流されてしまうため、本件ヨットは現場付近で直径一〇〇ないし二〇〇メートルの円を描くようにして旋回していた。A田が潜水を始めてから約三〇分が経過したころ、D原が異常を感じてメインサロンに降りる中央のハッチを開けたところ、メインサロン内から黒煙が吹き出してきた。更に、D原がコックピットや船首付近のハッチを開けたが、やはり黒煙が猛烈な勢いで吹き出してきた。メインサロン内には消火器が備え付けてあったが、D原とE田は、何らの消火活動をしないまま、直ちにテンダーボートに乗り移り、A田が潜水していた場所に向かった。

D原、E田らが潜水場所でA田をテンダーボートに乗せたところ、A田が、自分はウェットスーツを着ているので本件ヨットに戻って消火活動をしたい旨述べたため、右三名はテンダーボートで本件ヨットに向かった。しかし、本件ヨットの数一〇メートル手前まで近付いたところで、本件ヨットから黒煙や炎が激しく吹き出しているのが見え、D原が爆発の危険があると述べたため、A田も消火活動をすることを断念し、海上に炎上中の本件ヨットを残したまま、右三名はテンダーボートで最寄りの川奈港に向かった。

本件事故現場付近の海域を航行中であった貨物船祐宝丸の乗組員は、同日午後三時四〇分ころ、火災を発生して黒煙を上げている本件ヨットを発見し、午後四時ころ現場に到着して本件ヨットの周囲を旋回して観察したが、本件ヨット及びその周辺海上に人影は見当たらなかったため、下田海上保安部にその旨を通報した。また、川奈ホテルの客が火災を発生している本件ヨットを発見したのも午後三時四〇分ころであり、同ホテルの副支配人は午後四時六分に消防署に事故を通報した。同ホテルの副支配人は、午後四時三〇分ころに本件ヨットのマストが右舷側に倒れ、船体が黒煙を上げながら北東方向に流れていくのを目撃している。(《証拠省略》)

(一〇) D原、E田、A田の三名は、テンダーボートで午後四時過ぎころに川奈港に到着した。そのころ、川奈港では、下田海上保安部の要請により、五隻の漁船が救助のため出港を準備している最中であった。D原ら三名は、同港に到着後、川奈漁協の事務所に行き、海上保安部への連絡を依頼したが、既に連絡済みであることを告げられ、その場に留まって同日の夜に海上保安部の職員から事故状況等についての事情聴取を受けた。A田は、前にA野から本件ヨットに高い保険を掛けたということを聞いていたため、海上保安部の係官から事情聴取を受ける前に、D原に本件ヨットの保険についての話をしたところ、D原は「分からないから黙っていろ。」と言い、海上保安部の係官から事情聴取を受けた際にも、D原は本件ヨットが保険に加入しているかどうかは分からない旨の返答をした。その後、D原ら三名は、いったんC川マリーナの事務所に帰ってから、海上保安部の要請で、本件ヨットを捜索するためタグボートに乗って夜の海に出たが、本件ヨットを発見することはできず、同日午後一〇時ころに事務所に戻った。右三名は、翌一二月二五日にも、C川マリーナの二機がけのボートで海上を捜索した。本件ヨットは発見できなかったが、油の浮遊している状況等から本件ヨットの沈没とその位置を推定し、これを海上保安部に報告した。(《証拠省略》)

(一一) 本件ヨットの出火地点は、静岡県伊東市川奈崎沖南南東方位一七三度、距離〇・九五浬付近の海上であり、午後三時過ぎころ出火した後黒煙を吹き出しながら炎上漂流し、やがて右川奈崎沖の東経一三九度一一分三秒、北緯三四度五九分、川奈崎東北東方位六〇度、距離三・五浬付近の海上で沈没した。

A野が控訴人大東京に対し平成五年二月五日付けで提出した事故状況報告書には、出火の第一発見者をD原とし、出火時刻は午後三時、最終離船時間は午後三時二〇分と記載している。(《証拠省略》)

(一二) A野は、本件事故の前日である同年一二月二三日夜から三泊四日の予定で知人ら五名と共に白馬にスキーに出掛けていた。この予定は、同月二一日ころ、A野からA田に電話で連絡され、A田も同月二四日の夜から白馬に来るようにA野から言われていた。本件事故が発生した後、D原、E田、A田の三名のいずれもA野に連絡を取ったことはなく、A野が本件事故を知ったのは、A野に同行していた伊東市在住の知人の妻からの電話連絡によるものであった。A野は、事故を知って急遽その後の予定を中止し、事故翌日の二五日午前二時ころ、C川マリーナに帰ってきた。(《証拠省略》)

(一三) 本件事故後の平成五年一月二一日、控訴人大東京に「ワタナベ」と称する者から、本件事故が故意に船を燃やしたものであり、A野は一〇年前にも船を沈めて保険金を取得したことがある旨を告げる電話があった。控訴人らが調査した結果、A野は、昭和五六年七月一日、その所有のヨットであるスノーグース号(長さ九・八八メートル、総トン数一二・八四トン)に千代田火災海上保険株式会社との間で保険金額二〇〇〇万円の保険契約を締結したが、同ヨットは、同年八月二六日夜、A野及びE田外一名が乗り組んで川奈付近の海上を航行中に座礁事故を起こして沈没し、A野が二〇〇〇万円の保険金を受領していることが判明した。(《証拠省略》)

(一四) 被控訴人は、平成五年二月二日受付の書面により控訴人大東京に対し本件保険契約に基づき、本件ヨットの火災炎上沈没に係る事故に関する保険金請求書を提出した。(《証拠省略》)

2  D原は、当審における証人尋問において、本件ヨットで貝採りに行くことは、平成四年一二月初めころにE田、A田及びE原らと話し合った際に、「でかい船なら寒くないから」とD原が言い出して決まっていたことであり、A田がいうように、本件事故当日にA田が二機がけで貝採りに行くものと思ってスキューバダイビングの装備をいったん二機がけに積み込んだが、D原から本件ヨットで貝採りに行くことを聞いて右装備を本件ヨットに移したという事実はない旨の証言をし、《証拠省略》にも、「大きなヨット」で貝採りに行くことが当初から決まっていたとする部分がある。

しかし、A田は、甲第八九号証の陳述書及び当審における証人尋問において、本件ヨットで貝採りに行くことは本件事故当日に初めてD原から聞いた旨を明確に述べ、かつ、その際に、普段からA野が大切にし、自分以外の者になかなか舵を握らせないようにしている本件ヨットを、貝採りのために持ち出すことを聞いて一瞬耳を疑い、身の毛のよだつような恐怖を感じたと述べているのであって、この点に関するA田の供述は具体的で迫真力に富んでおり(A野も、原審及び当審における代表者尋問において、本件ヨットを従業員に私用で使用することは認めておらず、航行する際はほとんどA野が自ら操舵していた旨の供述をしている。)、右A田の証言等に照らし、前記D原の証言等はにわかに採用することができない。

また、D原は、原審及び当審における証人尋問において、本件ヨットが川奈ホテル近くの海上に到着し、A田が着替えのためメインサロンに降りていった際、D原もメインサロンに行き、A田が裸になって着替えるのに寒いから石油ストーブに点火した旨証言し、《証拠省略》にも石油ストーブの点火時期について同旨の記載がある(ただし、E田もD原及びA田と一緒にメインサロンに降りたとされている。)。

しかし、A田は、前記陳述書及び当審における証人尋問において、本件ヨットに乗船した際に既にウェットスーツを着用しており、本件ヨットのメインサロン内ではウェットスーツの上に着ていた上着とズボンを脱いだだけであり、その際にエアコンディショナーの暖房のスイッチは入れたが、D原がメインサロンに来て石油ストーブに点火した事実はなく、現場に到着した際にメインサロンに降りたのはA田だけであった旨の供述をしているところ、《証拠省略》によれば、本件事故から間もない平成五年二月一三日に保険調査員の酒井敏夫がD原、E田、A田の三名から事故状況等を聴取した際、右三名は、A田とE田がテンダーボートで本件ヨットを離れた旨、またD原は、一人で本件ヨットに残った際に海から上がってくるA田の身体を暖めるために石油ストーブに点火した旨述べていたことが認められ、また、《証拠省略》中の当審で追加提出された部分によれば、平成五年四月一二日に控訴人ら訴訟代理人弁護士が事情聴取した際に、E田は、A田がどこでウェットスーツに着替えたかとの質問に対し「着て行ったんじゃないかな。」と答え、D原も、同旨の質問に対し、記憶が明確ではないものの、潜るのが目的なら港からウェットスーツを着て行くこともある旨答えていたことが認められ(なお、D原は右事情聴取の際にも、石油ストーブに点火したのはE田とA田がまだ船内にいる時であったと供述している。)、これらの証拠に照らして、石油ストーブの点火時期等に関する前記D原の証言及び乙第二号証の記載内容は採用することができない。

右に述べたほか、前記1で認定したところに反する原審及び当審におけるD原の証言は、甲第八九、第九六号証及び当審におけるA田の証言に照らして採用することができない。

二  本件ヨットの船価について

前記のとおり、C川マリーナは、控訴人らとの間で本件ヨットの船体保険金額を二億円とする保険契約を締結しているところ、被控訴人は、本件保険契約締結当時の本件ヨットの価額は二億円を下らなかったと主張するのに対して、控訴人らは、本件ヨットの価額は五〇〇〇万円にも満たないものであった旨主張するので、以下にこの点について判断する。

1  本件ヨットのリーン・ホアからの購入代金額について

(一) A野は、《証拠省略》において、本件ヨットのリーン・ホアからの購入価額は七五万八〇〇〇ドル(米ドル。日本円で一億〇六一二万円。《証拠省略》によれば、本件ヨットの輸入手続がされた平成三年七月一〇日時点でのレートは一ドルが一三九・八円であったことが認められ、以下におけるドルの円換算は便宜上一ドルを一四〇円として換算する。)であり、そのうち船体基本価額の四七万ドル(六五八〇万円)は、平成三年四月一日の売買契約締結時に現金で支払い、その後、同年四月から六月にかけて、エンジンの取替等の追加注文の費用として三回に分けて合計二八万ドル(三九二〇万円)を送金し、最後に本件ヨットの運搬費用として現金で八〇〇〇ドル(一一二万円)を同年六月二一日に支払った旨供述し、《証拠省略》にもこれに沿う記載がある。

(二) 右代金のうち、送金の方法で支払われた合計二八万ドルについては三和銀行の送金取組済通知書(平成三年四月九日に五万ドル、同年五月一四日に五万ドル、同年六月一九日に一八万ドルをリーン・ホアの銀行口座に送金した記載がある。)が存在する。また、《証拠省略》によれば、C川マリーナは、三和銀行から、同年三月一九日に四〇〇〇万円、同年四月九日に二四〇〇万円、同年四月一〇日に九〇〇万円、同年五月一四日に二五〇〇万円、同年六月一九日に二七〇〇万円、同年七月一日に八〇〇万円(以上合計一億三三〇〇万円)を借り受け、同年六月一九日に三和銀行で現金九〇〇〇ドルの外貨購入を行ったことが認められる。

(三) 《証拠省略》によれば、社団法人日本海事検定協会所属の保険調査員である松村義博が、株式会社損害保険サービス代表者中谷恒行(以下「中谷」という。)らと共に本件事故から間もない平成五年三月にリーン・ホアを訪ね、孫頌恩総経理及びヨット担当者の陳雅慧から聴取した結果では、本件ヨットの代金額は、運賃及び保険料等諸経費込みで七五万八〇〇〇ドルであったと説明されたことが認められる。

(四) ところで、甲第九八、第九九号証及び《証拠省略》によれば、中谷が、平成九年一一月六日に、台湾の弁護士陳秀峯と共にリーン・ホアを再度訪問し、当時マネージャーの地位にあった前記陳雅慧らと面談した際には、本件ヨットの代金額は三〇万ドルであったと説明され、更に、陳雅慧マネージャーらは、同月一〇日、陳秀峯弁護士に対し、本件ヨットに関する全ての書類を調査した結果、本件ヨットの最終引渡価額は二九万五〇〇〇ドルであった旨述べたことが認められる。

右最終引渡価額の二九万五〇〇〇ドルは、前記A野の供述する支払代金のうち客観的な裏付けのある送金支払額合計二八万ドル(なお、運搬費用八〇〇〇ドルについては、直前に三和銀行から九〇〇〇ドルの外貨購入を行ったことが認められる。)に近い金額であり、それ以外の支払代金額、特に売買契約時に現金で支払ったという四七万ドルに関する当審でのA野の代表者尋問における供述は、そのような高額の外貨を現金で保有していて海外に持ち出したこと自体著しく不自然であり、また、正常な取引であれば当然交付されるはずの領収書を受け取っていないと述べるなど極めて不合理な点があることを考慮すると、その信用性には疑問があり、本件ヨットの真実の代金額が総額二九万五〇〇〇ドルであった可能性が考えられないではない。

しかし、右甲第九八、第九九号証は、C川マリーナがリーン・ホアから本件ヨットを購入してから六年以上も経過した後の調査結果によるものであり、前回の甲第五号証の調査結果と代金額が大幅に異なるにもかかわらず、その相違について何らの説明もされておらず、代金額を裏付ける書類の具体的内容も明らかにされていない(《証拠省略》によれば、リーン・ホアは、いずれの調査においても、同社の社内規定を理由に、代金額を裏付ける書類の提出を拒否していたことが認められる。)。

したがって、右甲第九八、第九九号証の記載内容を直ちに採用することは困難というべきであり、他に的確な反証もない以上、かなりの疑問はあるものの、C川マリーナが本件ヨットを購入するために支払った代金額は、前記(一)ないし(三)に認定したところから、被控訴人主張の七五万八〇〇〇ドルであったと一応認定しておく。

2  輸入後の設備機器等の付加及び改装費用について

(一) 《証拠省略》によれば、C川マリーナは、本件ヨットを輸入後に、古野電気株式会社沼津営業所から、国際VHF無線機(二〇万円)、ファクシミリ(二八万円。定価は四〇万円)、GPS受信装置(四八万円。定価は七五万円)、ビデオプロッター(五八万円。定価は八三万円)を購入して本件ヨットに設置し、また、別の船に設置してあったロラン受信装置(三五万円)、レーダー(五八万円)を本件ヨットに移設し、これらの機器の代金額と設置工事費用等(二三万三五〇〇万円)の合計額は二七〇万三五〇〇円であったことが認められる。

(二) 《証拠省略》によれば、C川マリーナは、平成三年八月及び一〇月に、有限会社アブラツボセイルから本件ヨット用のセール五枚を五四五万円で購入し、本件ヨットに備え付けていたことが認められる。

(三) 《証拠省略》によれば、本件ヨットには、C川マリーナがアメリカ等で調達した冷凍冷蔵庫、製氷機等の備品類、安全設備類、ゴムボート、救命いかだ及びロープ類等が備え付けられており、これらの代金額の合計は三六〇万円であったことが認められる。

(四) 《証拠省略》によれば、本件ヨットを輸入して間もなく、マストの基礎部分(マストステップ)が腐朽してマストが沈み込むという不具合が生じたため、D原がマストの基礎部分を修理したことが認められるが、マスト自体を取り替えたことを認めるに足りる証拠はない。また、右マストの基礎部分の修理に要した費用を具体的に認めるに足りる証拠はない(右費用は修理に要したものであるから、本件ヨットの価額自体に影響を与えるものでもない。)。

(五) 被控訴人は、C川マリーナが本件ヨットを輸入後、D原らが半年以上をかけて内装を全面的に無垢のチーク材に張り替える工事をし、その費用は三〇〇〇万円以上を要した旨主張し、《証拠省略》等には右主張に沿う部分がある。

しかし、A田は、《証拠省略》において、本件ヨットにGPS等の機器類を取り付けた際に棚等をチーク材で付加したことはあるが、内装を全面的に無垢のチーク材に張り替えたことはないのみならず、本件事故後に控訴人ら保険会社から事情聴取を受けるようになった際、A野及びD原から、殊更に本件ヨットの内装をチーク材で改装したことにしておくようにと命じられた旨供述しており、《証拠省略》によれば、平成三年五月から平成四年三月までC川マリーナで働いていたA山(旧性B田)春子は、保険調査会社からの質問に対し、C川マリーナ在職中に本件ヨットの内装の張り替えられたという記憶はない旨を書面で回答していることが認められる。

また、被控訴人は、C川マリーナにチーク材の在庫があり、木材を加工する機械類が存在する証拠として乙第二三号証、第五三号証の七の各写真を提出しているが、これらは本件ヨットの内装のチーク材による張替工事の実施を直接裏付けるものではなく、他に、被控訴人主張の改装工事が現実に行われたことを客観的に裏付ける証拠は何ら存在しない。

右のとおり、被控訴人主張の改装工事については、A野及びその知人やC川マリーナの関係者等の供述があるものの、右改装工事が行われたことを客観的に裏付ける証拠は何ら存在せず、右被控訴人の主張に沿う供述は、これを否定する右A田及びA山春子の供述等に照らし直ちに採用することはできない(なお、被控訴人は、甲第八八号証中のフィリップ・A・ストラウス(以下「フィル」という。)の供述(一八頁、四四頁の各13項)を、右改装工事を裏付ける証拠として指摘するが、フィルの供述は「C川マリーナで一人の社員がチーク部分にニスを塗ったり、エンジンを見たりのメンテナンスを行っているのを確認している。」というものであり、単に内装の一部を補修しているのを見たにすぎないとも解されるから、本件ヨットの内装の全面的な張替工事を裏付ける証拠とはいえない。)。

したがって、本件ヨットのチーク材張替に関する被控訴人の主張は採用できない。

3  本件ヨットの価額について

1、2で検討したところによれば、本件ヨットのリーン・ホアからの購入金額は七五万八〇〇〇ドル(一億〇六一二万円)であり、C川マリーナが日本に輸入後に付加した設備機器類等の価額は一一七五万三五〇〇円(前記2の(一)ないし(三)の合計額)であるから、証拠上認められる本件ヨットの価額は、これらの合計額である一億一七八七万三五〇〇〇円ということになる。

ところで、乙第一号証によれば、株式会社国際海事検定社所属の海事鑑定人新田肇が平成五年三月一日付けで作成した本件ヨットの船価鑑定書は、本件ヨットの艤装品及び登録料等の諸経費を含めた価額(輸入業者経由で購入する場合に通常輸入業者の取得すべき一〇パーセントの利益は除外した価額)を二億〇七〇〇万円と評価していることが認められる。しかし、《証拠省略》によれば、右鑑定書の価額は、本件ヨットが本件事故により沈没して存在しないため、主としてA野から提供された資料やA野から聴取した艤装等の内容に従って評価鑑定したものであって、現在では同証人自身が右価額の客観性及び正確性に疑問を感じているものであり、かつ、右新田が鑑定の前提とした本件ヨットの内装設備等は、既に認定した本件ヨットの実際の設備機器類や内装とは異なっていることが認められるから、乙第一号証の鑑定価額を本件ヨットの価額として採用することはできない。

また、甲第六号証の鑑定書の評価額は、設備機器類の評価額が低いことと一年の経年減価一四・二パーセントをしている点で前記認定の評価額を下回っているが、設備機器類の内容及び価額は前記認定のとおりであり、本件ヨットは販売目的で輸入され、輸入後に設備機器類を新たに加えて商品価額を高めていることなどからすると、右鑑定書記載の一四・二パーセントの経年減価をすることには疑問があり(なお、《証拠省略》によれば、リーン・ホアの本件ヨットの建造証明書の日付は、日本に輸入後の平成四年一月五日とされている。)、直ちに採用することはできない。

他に、本件ヨットの価額についての前記認定を左右するに足りる証拠はない(なお、ヨットの長さと価額との相関関係を調査した結果という乙第四九号証は、単に大まかな傾向を示すだけであって、本件ヨットの価額に関する前記認定を左右するものではない。)。

そうすると、本件ヨットの船体保険金額とされた二億円は、転売利益を考慮したとしても、本件ヨットの適正な価額を相当上回るものであったということができる。

三  本件ヨットのアメリカでの売却のための回航予定について

1  被控訴人は、C川マリーナが本件保険契約を締結したのは、本件ヨットをアメリカで売却するためにアメリカまで回航する予定であったからであり、D原らが本件事故の直前に本件ヨットの燃料タンクを満タンにした上、余った軽油や船外機の燃料である混合油(以下、これらを「予備燃料」ということがある。)をポリタンクに入れて船室内に積み込んだのも、予定されたアメリカ回航のための出航が間近に迫っていたことによるものとしている。

2  本件ヨットが日本国内の顧客に販売する予定で輸入されたものの、A野が、経済情勢の変動から国内での販売を断念し、平成四年初めころには、本件ヨットをアメリカで売却することを企図するようになり、税金面で有利なデラウェア州に被控訴人を設立した上、同年六月一〇日、デラウェア州において本件ヨットの船籍登録を行ったことは前記のとおりである。また、《証拠省略》によれば、A野がアメリカで経営する会社であるC川マリーナUSAの仕事を手伝っていたフィルは、平成四年四月に来日した際、A野から本件ヨットをアメリカまで回航する仕事をするように依頼され、ヨットマンのパトリック・ジョン・アトリー(以下「パトリー」という。)も、同年五月に航海の途中で日本に立ち寄った際、A野から本件ヨットのアメリカ回航についての依頼を受けたことが認められる。

3  ところで、《証拠省略》によれば、A野は、本件事故が起きてから間もない平成五年一月一二日に、控訴人大東京の調査担当者らから事情聴取を受けた際、本件ヨットのアメリカでの買手は決まっており、手付金三〇〇〇万円をもらっている旨述べ、被控訴人が申請した本件保険金の仮払を求める仮処分申請事件(東京地方裁判所平成五年(ヨ)第四四二六号)で被控訴人から提出されたA野の同年七月一日付け報告書にも、「平成四年七月には、正式にアメリカでフィリップ・A・ストラウスとの間で金一七〇万米ドル・納入時期を平成五年三月一五日として販売の申込をしていました。」と記載されており、被控訴人は、右仮処分申請事件で乙第二一号証の二のメモランダム(フィルが、平成四年七月九日、被控訴人に対し本件ヨットの購入申込みをしたことが記載され、フィル及びA野の各署名があるもの。)を疎明資料として提出していたことが認められる。

また、被控訴人は、本件訴訟においても、右乙第二一号証の二に加えて同号証の一の書面(被控訴人が、平成四年七月八日にフィルから本件ヨットの手付金として二〇万ドルを受領し、フィルは本件ヨットが良好な状態で引き渡されることを条件に残代金一五〇万ドルを平成五年三月一五日に支払うことを約束した旨が記載され、A野がフィルの各署名があるもの。被控訴人の証拠説明では売買契約書とされている。)を提出し、原審における代表者尋問において、A野は、フィルとの間で乙第二一号証の一のとおり本件ヨットの売買契約が成立し、売買代金一七〇万ドルのうち手付金として二〇万ドルをフィルから受領した旨供述し、更に乙第三三号証のA野の陳述書には、右と同旨の記載があるほか、「火災事故後、手付金の二〇万ドルはフィルに返却しています。」と記載されている。

しかし、《証拠省略》によれば、フィルは、平成七年二月及び平成九年二月の二度にわたり、アメリカの公証人の面前で作成された宣誓供述書において、A野に本件ヨットの購入を申し込んだ事実はなく、乙第二一号証の二のメモランダムは見たこともないし、これにされている署名は自分がしたものではない旨供述し、乙第二一号証の一、二にされたフィルの各署名は、フィルが自署したことを認める小切手等の他の文書の署名と異なっていることが認められる(乙第二一号証の一の署名は明らかにフィルの自署と異なり、同号証の二の署名と乙第四一号証添付の各小切手(同号証別紙一の小切手は乙第二二号証と同じもの)の裏面の署名とは一見類似するように見えるが、フィリップの頭文字等に違いが認められる。)。

4  A野は、当審における代表者尋問において、原審での供述を翻し、フィルとの間には、フィルが本件ヨットを一七〇万ドルで他に売却できれば二〇万ドルを与える約束があったが、フィルから二〇万ドルを現実に受領したことはなく、乙第二一号証の一の書面は本件裁判になってから作成されたものであり、同号証の二のメモランダムも、作成日より後にフィルに依頼して作成してもらったとの趣旨の供述をしている。

しかし、右の点に関するA野の当審における供述はおよそ納得できる説明となっていない上、甲第八八号証中のフィルの公証人の面前での供述書によれば、フィルは、A野から本件ヨットを他に売却する依頼を受けたことも明確に否定していることが認められるところ、この点についてのA野の供述の変遷及び乙第二一号証の二に関するフィルの前記宣誓供述書における供述等からすると、乙第二一号証の一、二がフィルによって真正に作成された文書であるとは到底認めることができず、むしろ、これらの文書は、本件ヨットをアメリカで売却する具体的な目途があったことを作出するため、A野によって意図的に作成された疑いが強いといわなければならない。被控訴人の主張としては、本件ヨットをアメリカへ回航する目的はアメリカで本件ヨットを売却するためであったというのであるから、回航の目的である売却予定の事実が崩れる以上、回航の予定についてもこれを認め難いというべきである。

5  また、売却の具体的な予定がなくても、まずアメリカに回航することもあり得ないことではないが、《証拠省略》中のフィルの宣誓供述書によれば、本件ヨットのような台湾製のヨットは、アメリカでの評価が低い上、平成四年ころは、アメリカの景気も悪かったため、日本から本件ヨットをアメリカに回航して販売しようとしても、容易には販売できる状況になく、仮に販売するとしても、その価額はA野がフィルとの売買価額とする一七〇万ドルを大幅に下回るもの(フィルはせいぜい二〇万ドル程度と供述している。)にしかならなかったことが認められる。

6  さらに、平成四年一二月二二日にD原らが行った本件ヨットへの給油及び余った予備燃料の船室内への積込みについても、当時、アメリカ回航のための出航日が具体的に決まっていたことを認めるに足りる証拠はなく(A野は、当審における代表者尋問において、回航のための出航は平成五年一月中旬ころを予定していたというだけで、具体的な出航日については述べていない。)、出航日も決定されていない段階で、船室内に予備燃料まで積み込むことは容易に理解できることではなく、真実、回航のためにこれらの積込みがされたかどうかについても疑問があるといわなければならない。

7  以上の1ないし6の認定、判断を総合すると、A野がデラウェア州に被控訴人を設立して本件ヨットをその所有とし、同州において船籍登録をした当時においては、A野に本件ヨットをアメリカに回航して販売しようとする計画があったことは自体は否定できないにしても、本件保険契約が締結された平成四年一〇月二日の時点及び本件事故が発生した同年一二月二四日の時点において、その計画が維持されていたかどうかは疑問である。すなわち、A野が、前記のように保険調査担当者や原審の尋問において虚偽の供述等をしてまで、アメリカにおける本件ヨットの売却予定の存在を作出しようとしたのは、真実はそれとは反対に、アメリカでの売却計画を具体的に進めようとしても、本件ヨットをアメリカで売却できる目途が全く立たなかったことから、その事実を殊更に隠蔽しようとしたことを窺わせるものであり、現に、フィルに対する売却話の点を除くと、本件において、本件ヨットをアメリカで売却する具体的な目途があったことを認めるに足りる証拠は何ら存在しない。加えて、A野が、具体的な売却の目途もないのに、多額の費用を掛け、かつ、長距離の航海による船体の損耗をも顧みずに、本件ヨットをアメリカまで回航する計画を現実に行おうとし、そのために本件ヨットに二億円の保険を掛けて相当高額な保険料を払い続けようとしていたとすることは、極めて非現実的といわなければならないことを考慮すると、右に述べたとおり、本件保険契約締結時又は少なくとも本件事故発生時において、本件ヨットのアメリカ回航の予定は実際には存在しなかったものと認定するほかない。

なお、《証拠省略》によれば、A野は、平成四年一一月に渡米した際にフィルとの間で、また、同年一二月初めころにパトリーが来日した際に同人との間で、それぞれ本件ヨットのアメリカ回航についての話をし、平成五年一月に出航する予定である旨を話したことが認められるが、右各証拠によっても、右両名が本件ヨットの回航のために来日する時期や出航の日が具体的に決まっていたことは認められず、A野が、回航計画が継続して存在していることを装うために、右両名に回航についての話をしたと考える余地があるから、右の事実は、前記判断を左右するものではない。

四  平成四年当時のC川マリーナ及びA野の経済状況について

1  C川マリーナの売上高が平成二年以降急激に減少し、平成四年には多額の営業損失を計上するに至っていたこと、本件ヨットの購入資金等のためにC川マリーナが平成三年三月から同年七月までの間に三和銀行から合計一億三三〇〇万円を借り入れ、平成四年一〇月ころからその元利金の一部の返済が滞るようになっていたこと、更に、C川マリーナは平成四年一月に暴力団代表者のD山夏夫から七〇〇〇万円を借り入れたが延長した期限にも返済することができずにいたことは、前記のとおりである。

2  被控訴人は、A野が多数の不動産や船舶を所有し、本件事故発生の直前である平成四年七月には妻花子が多額の親の遺産を相続していることなどから、平成四年当時にA野が経済的に逼迫している状態にはなかったと主張する。

確かに、《証拠省略》によれば、A野は、自己又は妻花子名義で伊東市《中略》に土地四筆(同所《番地省略》)と建物四棟(同所《番地省略》に二棟、同《番地省略》に各一棟)を所有していること、妻花子は、父松太郎が平成四年七月一八日に死亡したことにより、同年一〇月三一日付け遺産分割協議により伊東市《中略》所在の土地と代償金三〇〇〇万円を取得したこと、A野は、平成四年当時、船名を武尊(船籍簿上の長さ一二・七三メートル)及び武尊2(同一一・九八メートル)とするヨットを個人名義で所有していたことが認められる。

しかし、右に掲記した証拠によれば、A野所有名義の伊東市《番地省略》及び同《省略》の各土地並びにその地上建物には、平成四年一〇月一九日付けでワールド・ジョイ株式会社が極度額を三五〇〇万円とする根抵当権を設定し、同年一一月一七日にインターナショナル・ファクタリング株式会社に右根抵当権の一部移転がされていることが認められる上(なお、これらの担保権設定等の具体的な経緯は証拠上必ずしも明らかではない。)、前記のとおり、C川マリーナは、本件ヨットの購入資金等に充てるため平成三年中に三和銀行から一億三三〇〇万円もの借入れをしたほか、平成四年一月には暴力代表者から七〇〇〇万円を借り入れており、これらの返済のために、本件ヨットの売却に期待が掛けられていたであろうことは容易に推測されるところ、本件ヨットがリーン・ホアから購入した際の思惑どおりに国内の顧客に販売することができず、アメリカでの販売も何ら具体的な目途が立っていなかったことからすれば、A野としては、右約二億円の負債の返済についてかなり困窮した状況にあったと考えられる(なお、《証拠省略》によれば、D山夏夫からの借入れについては、平成七年四月一九日付けで妻花子が相続した土地等を代物弁済することによって返済されているが、三和銀行からの借入れについてはいまだに返済されていないことが認められる。)。

五  A野とD原、E田及びA田の関係等について

《証拠省略》によれば、D原は、A野と同郷の出身で小学生のころからの知り合いという間柄にあり、A野が昭和五六年三月三〇日にC川マリーナ(当時の商号は株式会社C川ボートサービス。)を設立した後、昭和五七年三月三〇日から平成二年一一月一四日までの間、C川マリーナの取締役の地位にあり、昭和五九年三月三一日から同年五月二九日の間は代表取締役に就任していたこと、E田も、昭和五八年三月二日から平成二年一一月一四日までC川マリーナの取締役、平成四年三月三〇日からは監査役の各地位にあり、昭和五九年九月一八日から昭和六〇年一〇月二八日までの間は代表取締役に就任していたこと、A田は、平成二年三月からC川マリーナに従業員として雇われていた者であるが役員に就任したことはなかったこと、C川マリーナにおいて、右三名には特に役職名は与えられていなかったが、三名の中ではD原が現場の責任者的な地位にあったこと、以上の事実が認められる(なお、D原は、原審における証人尋問で、C川マリーナで実際に働くようになったのは昭和六三年五月からである旨証言しているが、右認定の経歴からすると右証言の真実性には疑問がある。)。

六  本件ヨットの出火原因に関わる状況について

1  本件ヨットの出火原因を明確に裏付ける証拠はないが、既に認定した本件事故の発生状況に加えて、①被控訴人が平成五年二月二日に控訴人大東京に提出した保険金請求書添付の事故状況報告書には、事故発生状況として「石油ストーブの引火により火災炎上沈没全損になった。」と記載されていること、 ②被控訴人の訴訟代理人弁護士が平成五年七月八日に下田海上保安部に電話で問い合わせたところ、下田海上保安部としては、石油ストーブの火が何かに燃え移って火災になったものと判断しているとの回答があったこと、③当時の新聞にも「下田海上保安部の調べによると、出火元は船室内の船首付近とみられ、石油ストーブの火が燃え移ったらしい。」と記載されていること、④石油ストーブ以外の出火原因(たばこの火の不始末、電気系統の漏電、エンジン加熱等の機関出火等)を窺わせる証拠が全く存在しないこと、などを総合すると、出火原因として最も考えられるのは、メインサロン内にあった石油ストーブの火が何かに燃え移ったことであるというべきである。

2  ところで、メインサロン内にあった石油ストーブが耐震自動消火装置付のものであったことは既に認定したとおりであり、《証拠省略》によれば、本件事故後に、被控訴人の訴訟代理人弁護士らが、A野、D原、E田らと全長四七フィートのヨット(ホダカ号)に本件事故時の石油ストーブに類似する石油ストーブを積み込むなどして実験した結果では、事故当日に川奈ホテル近くの海域で旋回していた際の本件ヨットの揺れは、大きくても一五度前後であり、この程度の揺れではゴムマットを敷いた上に置いた石油ストーブが転倒することはないことが確認されたことが認められる。

また、《証拠省略》によれば、本件事故当日、本件ヨットのメインサロン内のテーブルの上に折り畳んだセールが置いてあったこと及びA田は、メインサロン内で着替えた際、ウェットスーツの上に着ていた上着やズボンをメインサロンのチャートテーブルの上に置いたことが認められるが、D原証言(当審)によれば、テーブルには置いた物が滑り落ちないようにする縁取りがしてあるため、セールがヨットの揺れでテーブルから滑り落ちる可能性はあまりないことが認められ、A田の証人調書(当審)添付の本件ヨットの図面によれば、チャートテーブルと石油ストーブが置かれた位置は離れていることが認められるから、チャートテーブルに置かれた衣服がヨットの揺れで滑り落ちたとしても、石油ストーブの火が右衣服に燃え移ることは考えにくい。

さらに、D原は、当審での証言中で、メインサロン内のソファに置いてあったビニール袋入りのクッションが滑り落ちた可能性について述べているが、同時にクッションが今までに落ちたことはなかったとも述べており、同証人調書添付の本件ヨットの図面に記載された石油ストーブの位置及び向きとクッションの置かれていた位置から判断しても、クッションがヨットの揺れで石油ストーブの上に落ちたりすることも考えにくい。

3  右1、2に述べたところからすると、本件ヨットの出火原因は石油ストーブにあると考えたとしても、本件事故当日の状況からすれば、本件ヨットの揺れ等によって自然に石油ストーブの火が何かに燃え移ったものとは容易には考えられないのである。

七  本件ヨットの出火原因について

1  本件ヨットは、C川マリーナが顧客に販売する目的で輸入し、設備機器類を付加するなどして商品価値を高めていたC川マリーナで最大のヨットであり、A野も本件ヨットを私用に使うことを認めていなかったのはもとより、ほとんど他人に操舵させないなど本件ヨットを日頃から大切に扱っていた。それにもかかわらず、D原は、A野に無断に本件ヨットで密漁に行くことを決め、しかも、当日は付近の漁船や客船が欠航するほどの荒天であったのに、潜水するA田の身体を暖めるという理由で、既にポリタンク入りの予備燃料を積み込んでいた本件ヨットに石油ストーブを持ち込み、本件事故現場の海上において、点火した石油ストーブを無人のメインサロン内に放置したまま本件ヨットを旋回させ、火災が発生したことを知った際にも、何らの消火活動もせずに本件ヨットから離れ、炎上する本件ヨットの状況を見定めもせずに最寄りの港に逃げ帰ってきたというのであって、右のD原の一連の行動は、極めて不可解であり、常識的にみて考えられないことというべきである。

このことに、既に認定判断したとおり、A野とD原とは幼いころからの知り合いで、A野がD原マリーナを設立して間もないころから代表取締役を含む役員の地位に就くなど両者には密接な関係があったこと、本件保険契約が締結された当時のC川マリーナの経営状態は相当悪化し、取引銀行のみならず暴力団代表者からも多額の借入れをする状況にあり、これらの借入れを返済するためには、本件ヨットを早期に売却する必要があったが、バブル経済の崩壊で国内で売却することはできず、アメリカでの売却を企図したものの、それも目途が立たない状況にあったこと、本件ヨットの船体保険金額である二億円は、本件ヨットの実際の価額を相当上回るものであったこと、本件ヨットをアメリカに回航して売却する計画が本件保険契約締結時又は本件事故発生時まで維持されていたかどうかには疑問があり、アメリカ回航のための出航を理由とする予備燃料の船室内への積み込みにも不可解な点があることを考慮し、他方、火災発生時の本件ヨットの船内の状況や、火元と見られる石油ストーブの種類及び機能からして、単に石油ストーブを点火したまま船内に置いてあっただけでは火災が発生する可能性がなく、また、仮に石油ストーブが転倒しても、自動消火装置があるため延焼する可能性がないこと、そして、本件ヨットは、前記認定のとおり、A田が潜水を始めてから最大約三〇分後、D原らが本件ヨットで本件事故現場付近に到着してから約四〇分後(A野が平成五年二月五日付けで控訴人大東京あて提出した事故状況報告書によれば、前記のとおり出火時刻午後三時、D原による発見時刻午後三時一五分、退船時刻午後三時二〇分と、極めて短時間であったことが窺える。)には、開けたハッチから黒煙が猛烈な勢いで吹き出すという急激な炎上の仕方であったことも併せ考えると、本件事故は、偶発的な事故によるものとは到底考えることができず、人為的な出火原因、すなわち、端的にいえば放火によるものと考えることによって、多くの不自然さ、不可解さが氷解するのである。そして、以上の認定判断と、D原自身には本件ヨットに放火する独自の動機は見当たらないことを総合すると、本件事故は、D原が、A野と意思を通じた上で、保険金を取得する目的で故意に招致したもの(おそらく、D原がE田とA田がテンダーボートで本件ヨットを離れていた間に、点火してあったメインサロン内の石油ストーブの火を何らかの方法により可燃物に燃え移らせたか、船室内に運び込んであった予備燃料を船室内に撒いて火を放ったことなどが想定される。)と推認するのが相当である。

2  被控訴人は、A野とD原は、平成四年一一月二二日から二三日にかけて行われたヨットレースに参加した以降一度も顔を合わせたことがなく、出航準備の確認のため同年一二月二〇日ころにA野がD原に電話した際にも、E田やA田がそばにいたから、A野とD原との間で本件ヨットの放火について指示や謀議をする機会がなく、両者の間に指示や謀議がされたことを具体的に認めることのできる証拠はない旨、また、D原の放火行為についても、これを具体的に裏付ける証拠は全くない旨主張する。

確かに、本件事故に関して右両名間で指示や謀議がされた具体的な日時及び内容を特定する証拠はないが、既に認定した諸事実からすれば、本件事故はA野とD原が意思を通じた上で故意に発生させたと推認することができ、かつ、A野がC川マリーナの事務所が所在する伊東市内に当時居住していたことは《証拠省略》から明らかであり、両名が面談し又は電話で話をすることは容易な状況にあったといえるから、指示ないし謀議がされた具体的な日時及び内容が証拠上特定できないとしても、本件事故について前記のとおりの共謀の存在を認定することは可能である。また、D原がどのような人為的な方法により火災を発生させたかについても、これを具体的に特定する証拠はないが、D原及びA野が放火を全面的に否定しているという事案の性質上、また、本件ヨットが本件事故によって沈没してしまった以上、この点に関する客観的な証拠を得ることができないのはやむを得ないところであり、諸般の状況から見て本件の火災の発生にはメインサロン付近における急激な火災の原因となる何らかの人為的な行為が不可欠であり、D原には出火の直前ころに、E田とA田が本件ヨットから離れたために船内に一人で居た時間があり、メインサロン内に持ち込んだ石油ストーブの火を他の可燃物に燃え移らせたり、あるいは船室内に運び込んであった予備燃料を室内に撒いて火を放つなどの行為をする機会があったことが認められるのであるから、D原が火災発生のためにとった方法を具体的に特定できなくても、D原の放火による事故招致の事実を認定することは可能というべきである。

さらに、被控訴人は、D原がA野と共謀して本件ヨットを故意に燃やしたとすれば、D原に対し多額の金銭の授受があったはずであるのに、この点についての主張立証はなく、本件事故当日の貝採りには、C川マリーナの従業員ではないE原及びA川も参加する予定であったが、D原が本件ヨットを故意に燃やすつもりであったなら、右のような第三者を貝採りに誘ったりするはずがない旨主張するが、D原に対し報酬を与えた事実が証拠上認められないからといって直ちに共謀が否定されるものではない。また、本件事故当日の貝採りにE原及びA川が参加する予定であったことは既に認定したとおりであるが、結果的に右両名とも貝採りに参加しておらず(両名の不参加の理由は、甲第一〇二、第一〇三号証の保険調査員の調査結果と乙第六号証の一、二のE原の報告書及び乙第三一号証のA川の陳述書では相当異なっており、この点に関してもやや不可解な点がある。)、仮に参加したとしても、《証拠省略》によれば、両名とも現場で潜水する予定であったことが認められるから、船室内での放火行為自体に目撃されるおそれもなく、却って火災事故について第三者的な立場の証言者となり得る可能性があるとも考えられるのであり、これらの疑問点は、A野の意を受けたD原の放火による事故招致の事実を認定するについて妨げとなるものではない。

したがって、被控訴人の主張はいずれも理由がない。

八  総括

以上によれば、本件事故は、本件保険契約の保険契約者であるC川マリーナ及び被保険者兼保険金受取人である被控訴人のいずれもの代表者であるA野の故意によって生じたものと認めるのが相当であるから、その余の争点について判断するまでもなく、被控訴人は控訴人に対して保険金請求権を有しないものである。

第四結論

よって、右と結論の異なる原判決を変更して控訴人らの本訴請求を認容し、被控訴人の反訴請求を棄却することとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法六七条二項、六一条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 荒井史男 裁判官 大島崇志 裁判官寺尾洋は転補のため署名捺印することができない。裁判長裁判官 荒井史男)

〈以下省略〉

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